BIANCO NATALE
臆病者は、ほんとうに死ぬまでにいくたびも死ぬが、
勇者は、たった一度しか死を経験しない。
(シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」より)
私は眠る前より、もっとずっと疲れていた。なのに、またも新しい一日が始まろうとしていた。
その一日が夜まで続くのである。それから次の日がやってきて、そのまた次の日がやってきて、
なんのへんてつもない毎日の積み重ね。恵みの雨を待つのがどうしてこんなに疲れるんだろう?
長年、私は自分の創造的衝動を抑圧し、創造性のすべてを他人を助けるために注ぎ込んできた。
そして、人生も折り返し地点に差し掛かった頃、ほかならぬ自分自身が助けを求めていたのだ。
当時、私は自分が誰なのかを知ろうと、数々の本を読み、人と出会い、熱心に道を探していた。
それでも常に物足りなさを感じていて、経験したことの多くは私の疑問を増やしただけだった。
誰も満足できる答えを持っていないか、自分の本質をどこかで疑っているかのように見えたし、
世間で教師と呼ばれるような人たちのメッセージはどれも真実ではなく、実験に過ぎなかった。
抱きしめていたいのか?それとも手放したいのか?はっきりしていないのか?わからないのか?
ほころびる性。昔からの不安。鏡の前、なにかが違う。でも、誰も私を助けてはくれなかった。
誰も私を救うことはできないのだ。ちょうど私が誰も救うことができなかったのと同じように。
私は弱っていた。あらゆるものが無意味に映り、自分を陽光を遮る黒い霧のように感じていた。
こうした冷たい絶望感に陥ることは当時の私にとってそれほど珍しいことではなかったのだが、
このときばかりは死んでしまいたいとさえ想っていた。私の生と死の境界線は既に消えていた。
正にそのときである。突然、頭の中で喋り続けていた声がピタリと止まる感覚に私は襲われた。
言葉でどう表現すればいいかわからない。とにかく奇妙で、なぜか心地よい懐かしさもあった。
私はエネルギーの渦にどんどん吸い込まれ、気づくとそこに藍の衣をまとった人が立っていた。
私は目を離すことができなかった。とにかく私は彼の青白い光に惹きつけられていたのである。
彼は私の前までやってくると「やあ、お嬢ちゃん、良く来たね。待っていたよ」と微笑みかけ、
私の左肩に自分の左腕を据えた。その途端、雷に感電したかのような閃光が私の身内を走った。
「僕は長いあいだ君と一緒にいたのに、君は僕に気づかなかった」と彼は歌い続けるのだった。
私は彼の香りに覚えがあった。それはずっと私の体で鳴り響いていた揺らぎだったからである。
そして、彼は私について知っていること、私のこれまでしてきたこと、私がこれからすること、
また、おそらくすべきではなかったこと(結局はたいしたことでもないが)を示したのだった。
なるほど、彼が極めて長い年月のあいだ私と一緒にいたに違いないことは確かに納得がいった。
というのは、彼は私の生活をすべてお見通しで、私はなにも告げる必要がなかったからである。
納得がいくと、今度は私がこれまでに学んだ知識を彼に知ってもらいたいという衝動が湧いた。
案の定、私は哲学や人生論や精神世界についての講釈を始め、彼もしばらく黙って聞いていた。
私は彼にある程度の印象を与えたと想った。少なくとも関心を寄せる価値はある筈と勘ぐった。
すると、彼は次の台詞を重ねた。「そんなのがほんとうかどうかはたいした問題じゃないんだ」
もし大きなハンマーで想いっきり私を殴ったとしても、このときほど驚きはしなかっただろう。
「お嬢ちゃん、今晩また会おう。君の旅行がうまくいくようにすべて準備は整っているんだよ」
彼は向きを変えると、完全にカラッポになってしまった私をここに残したまま消えてしまった。
私はカラッポだった。口数の少ない彼は私の内奥の子宮に溶けて、完全に私を変えてしまった。
私が昨日まで大事に持っていたものは、どれもみんな自分で勝手に作り上げた幻想だったのだ。
私の持ち続けていたものはただの偽物に過ぎず、そのために私は自分自身を見失っていたのだ。
抱えたままの私はどこを見ていたんだろう?振り返る口実と空回る両脚とがぶらさがっていた。
探り合う本質と直に触る傷口ならどちらが笑えるんだろう?どこかで出会えるととぼけていた。
いつか見たような手つかずの永遠は、短く刈り取られた一瞬の記憶とともに空へ消えていった。
「孤独」を知らない人間というのは魅力がない。
ひとりになれないものは、ふたりにもなれないそうな。
ねえ、ねえ、神様。サンタクロースが着ている赤い服はユニクロ製ってうわさはほんとうなの?
こんばんわ。最近ようやく納豆に辛子を混ぜると美味になることを知った昇天司会の歌丸です。
真面目に書く自分に飽きてきた今日この頃。今年を締め括る御題は「無知」。お嬢様とお呼び!
さて、無知とはいったいなんぞや?ズバリ!無知とは「あなたの頭の中にある図書館」である。
もしあなたが音楽をほんとうに聞いているなら、あなたは言葉と概念の向こう側がわかる筈だ。
あなたはなんと言っただろうか?たくさんの鳥が歌うのを聞いたと言ったのではないだろうか?
あなたが聞いたのは鳥の歌なのだろうか?それとも単なる頭の中のレッテルだったのだろうか?
あなたが鳥を眺め、歌を聞くとき、あなたはほんとうの音楽に耳を傾けていなかったのである。
あなたが鳥を眺め、そこに奇跡を見るとき、そのときこそ、あなたは遂に音楽を聞くのである。
あなたが音楽を聞くとき、言葉に表せない驚きで心が膨らんでいることを知っているだろうか?
音楽をあるがままに聞くことができるのなら、それだけであなたは既に満ち足りた人間である。
とどのつまり、無知とは「記憶」であり、魂を束縛する「制服(征服)」なのかもしれないね。
無知は次から次へと起こり、記憶はあなたの「私服(至福)」の自由にベールをかけてしまう。
無知というのは、知識や学習の欠如ではなく、記憶の混乱と葛藤であることがわかるでしょう?
人生の悩みや苦しみはすべて思考として始まる。しかし、思考を持つこと自体が問題ではなく、
あたかも自分を
思考と勘違いして、主人が道具に使われてしまうことが唯一の問題なのである。
あなたが、なにが正しくて、なにが間違っているか決めかねて答えを外に求めているとしたら、
頭の思想や観念や信仰や道徳や常識の戦争に巻き込まれ、奴隷として捕らえられているんだよ。
あなたは模範者ではないのに、過去に拾い集めた既成のカタチに自分を利口にあてはめようと、
こう在るべきだと素顔を化粧で隠して、ご丁寧にもそれに合わして偽りの自我を形成していく。
私服の着こなしを自由に楽しむどころか、タンスの引出しには息苦しい制服ばかり入っていて、
あなたの心地よい部屋の空間は本棚と積み上げられた本に埋もれて差し込む光を遮ってしまう。
あなたの鏡に映る自分が、見たもの、聞いたもの、読んだものの上に組み立てられているなら、
あなたの見ている自分は虚像でしかなく、言葉に囚われている限り、自分自身には戻れないし、
どんなに真実を探して勉強したとしても、あなたは蓄音機でレコードが変わるだけに過ぎない。
そもそも、あなたはほかの誰かの音楽を歌うためにいるんじゃない。あなた自身が音楽なのだ。
魂は自身が完璧な愛の歌であり、あなたが頭にお口チャックしたとき、自神は内から外へ流れ、
あなたが彼の歌と調和すればするほど、感受性は鋭くなり、あなたの人生は美しい調べに鳴る。
人間が往々に陥る罠は自分が愛の源と繋がっていないという頭の巧妙な詐欺に騙されることで、
ほかの誰かの愛に救われようと依存を引き起こし、数々の痛ましいドラマに巣食われてしまう。
飢えた中毒者は売人なしに生きていけやしないから僅かな愛の切れ端を手に入れたいがために、
他人が自分の人生を支配することを許してしまう。なにをすべきで、なにをすべきでないのか。
なにを信じ、なにを信じるべきではないのか。どの服を着て、どの服を着るべきではないのか。
本を読み、自分のカタチを決めてくれる指導者(支配者)を求めて所狭しとあちこち走り回る。
「あなたがこのように振舞うなら、あなたは愛されます。それができないなら、愛されません」
魂の飼い慣らしは親に始まり、教科書や学者や歴史や社会や文化に重たい靴を履かされた挙句、
愛は条件つきの取引きにまで成り下がり、自分を必要としてくれる相手を探すドラマに溺れる。
こうして人は自分自身との結びつきを忘れ、宝物は物置きの奥深くに隠されてしまうのである。
あなたが生きているのは、創造の美を感じ取るため、そして愛と共に人生を楽しむためだけど、
あなたが自分自身に愛を見い出せないなら、仮に全世界の人があなたを愛してくれたとしても、
あなたの意識にはなんの変容ももたらさないし、あなたが満たされることは永遠にないだろう。
なぜならば、あなたをほんとうに幸せにできるのは他人の愛ではなくて、自分自身の愛だから。
あなたはいつのまにか夜中に一人でトイレに行けるようになったし、化粧もするようになった。
でも、ほんとうにあなたは変わったのかな?これを読んでいるあなたがほんとうのあなたかな?
想像してごらん。5歳のあなたと、20歳のあなたと、現在のあなたは自己認識が違うでしょう?
ということは、逆に言えば、アイデンティティなんてどこにも存在しないのではないだろうか?
あなたは自分はこういう人間だと自分で自分に催眠術をかけているだけなのではないだろうか?
新しく手に入れたものはいずれ必ず失われていく運命を辿るから、記憶は永遠のものではない。
記憶が一時的なものに過ぎないなら、自分は誰なのかといういかなる自己判断も永続性がない。
そして、永遠でないものは本質的に真実とは言えず、永遠でないのなら手に入れる価値はない。
あなたに必要なのは、ただ思考という道具を自分と勘違いする長年の習慣をやめることだけだ。
真実は探すことで実現する知識ではなく、思考のカラクリに気づくことで体験する感情であり、
あなたがニセモノを見極めたとき、それはホンモノに溶け合い、沈黙のリズムだけが内に残る。
ガラクタを捨てて部屋が完全に空のとき、自分の本性を自覚する静寂が向こうからやってくる。
記憶を捨てれば捨てるほど空間は広がり、空間が広がれば広がるほど光が差し込み、闇は去る。
あなたはあなた以外になろうとする虐待をすべて手放し、あるがままの自分自身を抱き締める。
自分はなにも知らないことを知るといい。あなたが受け入れた程度の人物に私はなるのである。
もはや混乱と葛藤は消えて、あなたは自由になり、宇宙のチャンネル(受信機)となるだろう。
そう遠い先の話じゃない。塩の人形が地上を何十年も旅を続けて、遂に大きな海に辿り着いた。
人形はどんなものにも似ていないこの青い奇跡の動く広がりにすっかり心を奪われてしまった。
「あなたは誰なの?」と人形が尋ねると海は優しく答えた。「私の中に入って確かめてごらん」
海に招かれ、最初は怖がっていた人形もとうとう小さな勇気を振り絞って海の中へ飛び込んだ。
海に入っていけばいくほど、人形は溶けて、もうほんの少ししかカタチは残されていなかった。
そしてカタチが消える直前、人形は歓喜に震えた。「いまこそ私は私が誰なのかわかったわ!」
どうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう?もっと早く気づいてればなあ。
でも、いまここで気づけただけでもよかったわ。だって、もしずっとあそこにいたらと想うと。
やがて太陽が沈み、
星が訪れ、赤い林檎をふたりで一緒にかじってる。記憶は強烈に紛れ込む。
鳥が理論の真上を鮮やかに行ったり来たりしてる。実はいつだってそう。甘いのは背中合わせ。
「私を愛してくれる?」「さっきは才能に気づかなかったね。あなたはハモリが上手いんだ?」
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<孤独な鳥の条件>
1. 孤独な鳥は、もっとも高いところを飛ぶ。
2. 孤独な鳥は、同伴者に煩わされず、その同類にさえ煩わされない。
3. 孤独な鳥は、くちばしを空に向ける。
4. 孤独な鳥は、はっきりした色を持たない。
5. 孤独な鳥は、非常に優しく歌う。
クエッヽ(・∀・。)ノクエッヽ(。・∀・)ノクエッヽ(・∀・。)ノ チョコボール♪
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あなたがどんなに愛していても、
いつか別れのときがくることを覚悟していますか?
人間は勉強しすぎると、その不自然で人工的な知識が自由な発想を制限してしまうことがある。
でも、自由な発想がないと矛盾したデータをもとに世界が驚くような物語なんて生み出せない。
科学なんて自然現象の解釈方法に過ぎないのだから、それだったら面白くて単純なほうがいい。
理由はうまく説明できないけど、
面白いことのほうが圧倒的に正しいような気がするんだよね。
人間という仕事を何年もやってれば、愛する人や貴重な持ち物を失う悲しみを誰もが経験する。
しかし、自身に対する裏切りに気づくのはそれより深い終わりの見えない井戸のような悲痛だ。
自分自身の悲しみを経験するまいと、人は必死に自分は裏切っていないという証拠を捏造する。
知識や権力や快楽を忙しくかき集め、自分は自身を裏切っていない。自分は大丈夫とうそぶく。
よくある対処法は、悲しみを否定し、見えない倉庫に閉じ込め、自分を麻痺させる方法である。
ところが、なにをしても自身に忠実ではないという喪失感を消せないことは本人が知っている。
とどのつまり、人生最大の恐怖は死の恐怖ではなく、自分と向き合う恐怖なのかもしれないね。
人間が日常の営みの中で気づかないのは生命に対する着実で絶えまない頭の中のひとりごとで、
このズレた音は、その人の直感を遮り、そしてなにより音楽のリズムをバラバラにしてしまう。
思考は人生の指揮者に成りすまし、霊的、精神的、肉体的な不毛といった負の連鎖へと貶める。
コロンブスは新世界を発見したとき「地球は平面ではなかったんだ!」と叫んで世間を驚かせ、
それを聞いた多くの人々は「自分は行かない。地球の淵から落ちてしまう」と答えたのだけど、
あなたに地球の淵から落ちる勇気があるなら地球を支えているのが実はあなた自身であること、
あなたはあなた自身からけっして「落ちる」ことはないという安らぎを改めて知ることになる。
あなたにできるのは自分自身の内へ、より深く、より広く、より大きく入っていくことであり、
あなたが過去を遠くまで振り返ることができるなら、あなたは未来を遠くまで見渡せるだろう。
あなたは子供の頃、動物や植物と言葉を交わさずに互いの感情を感じ取れた。別に珍しくない。
子供はみんなできる。あなたはどこへ行くにも彼と仲良く手を繋ぎ、いつも一緒に遊んでいた。
彼はあなたにとって両親や友達や外に見えるほかのどんなものよりもたいせつな宝物だったし、
神を歌う場所は、遊んでいるとき、踊っているとき、創っているとき、愛しているときだった。
遊んだり、踊ったり、創ったり、愛したりすることは子供にとって内なる愛の表現なのである。
絶対に枯れない無限に金の成る木を持っている人がお金を欲しいなんて少しも想わないように、
あなたの胸ポッケの中には無限のハートが入っていたから自分の外に愛を欲しがる必要もない。
あなたは過去に恥じることも、未来に不安を抱くこともせず、永遠の一瞬の現在に生きていた。
出会う人すべてがあなたに癒され、あなたを天使と呼び、あなたを愛さずにはいられなかった。
ところが、あなたは成長するにつれて、教育の首輪で縛り、社会の鎖で飼い慣らされてしまう。
あなたにちっとも似合わない滑稽な制服とぜんぜん役に立たない退屈な本が部屋中に溢れ返り、
荷物が邪魔で向こうから押しても引いても開かない家の扉の前で彼は待たされ、忘れ去られる。
あなたが思考を自分と勘違いするほど、あの日に繋いだ手は解け、彼からどんどん離れていく。
そして、大人になってみたら、あなたは外から作られた
偽物の自分を演じる天才になっていた。
女の子はパーティーへ行くために化粧をし、帰るためにも化粧をする。あとは寝るだけなのに。
あなたはわざと感受性を殺していた。これは女の子にはたいていあてはまることかもしれない。
人並みはずれた感覚は往々に敵を作る恐れがあり、いくらかでも安全と心の慰めを求めるなら、
女の子にはありったけの友達が必要だからである。そこで、あなたは同意機械になろうとする。
あなたの仕事は、他人がなにを考えているか調べて、それから自分もそれを考えるだけになる。
そのあいだも彼は家の扉を叩き続けていたのに、あなたは自身にだけは耳を傾けようとしない。
いや、たぶん聞こえていたのだろう。ただ、あなたは自神だけは愛そうとしなかったのである。
もちろん、あなたは甘い汁の吸い方を勉強して、人生でいろいろ得したこともあったのだけど、
あなたと彼は鏡写しだから、あなたが彼と離れ離れのまま自信や安らぎを感じられる筈がない。
彼は耳栓で心を塞いだあなたをなんとか自分自身に戻そうと、経験を創り出し、覚醒へと導く。
彼の贈り物をあなたが受け取らないのだから、彼は宇宙を総動員して物語の脚本を書き変える。
あるとき、あなたは長いあいだ鏡に映してきた化粧が海水で洗い流されていることに気づいた。
部屋の空間を埋め尽くしていた本はブックオフに売られ、制服はガソリンをかけて燃やされた。
あたかも坂道を真っ逆さまに転げ落ちていくように、あなたの
嘘は光に晒されてしまったのだ。
最初は頭の中で思考が狂った牛のように抵抗して暴れ回り、あなたは面食らっていたのだけど、
沈黙があまりにも強烈だったから思考は次第に高まっていくエネルギーの出口を見つけられず、
沸騰したやかんの口先から蒸気が放出していくように最後は降参してどこかへ消えてしまった。
昨日まで必死にしがみついていたあなたのアイデンティティは弱い音を立てて脆くも崩れ落ち、
あなたは静寂の恍惚と至福の海に浸りながら空を見据え、自分の実在が無であることを知った。
こうして、あなたはようやく自分自身から逃げることを諦め、大好きな彼と仲直りしたんだよ。
人生の苦しみのほとんどは自分自身を信じられない「自信喪失(自己愛の欠如)」から生じる。
自身を信じられない人間は他人に承認を求め、他人の愛を求めることで愛を確かめようとする。
ところが、外に求めること自体が望みと正反対に働いて自己愛の欠如を永続化させるのである。
人間の多くは
自神を二度と取り戻すことはない。一部の人が執着の少ない高齢になって気づく。
しかし、その頃にはたいてい疲れ過ぎていて、彼と共に人生を楽しむだけの体力や気力がない。
自分自身との結びつきを取り戻したときの感覚は理解ではなく、否定しようのない高揚だから、
ひとたび絆が回復すれば、愛と喜びと安らぎに満たされて、宇宙の流れにもスムーズに乗れる。
あなたにとっての真実は彼との関係だけであって、人生の質はすべて内側のバランスで決まる。
だから、彼と仲直りしたあなたの決断は正しかったと想うよ。彼はあなたの幸せを心から喜び、
あなたの不幸を悲しむことができる。それこそ生命にとっていちばんたいせつなことだからね。
あなたは聖なる愛の導きにより、私というプロセスを通して、覚醒を求める存在たちと出会う。
お互いがお互いを引き寄せる。そして今度はその分かち合いが双方の意識を高めていくだろう。
そう遠い先の話じゃない。私が長い夢から目を覚ましたとき、なにひとつ同じものはなかった。
生まれて初めて私はふたつの目を開いた。私は長く信じていた。自分はものを見ているのだと。
けれども、私が真実として知っていたものはどれも偽りの幻想。それ以外の何者でもなかった。
そのとき、輝く星のように生の天使が死の天使になり、恐怖の悲劇は至福の喜劇へと変貌した。
驚きのあまり、私は天使に尋ねた。「私は死んだの?」「そうだよ。あなたは死んでいたんだ」
私の心臓は脈打っていても、精神は幻想の墓の中で眠っていた。自分が誰なのか知ることなく。
生まれ変わった私の目は美をほめたたえる。聖なる意識が私の中のすべての愛を目覚めさせる。
憎しみと恐れは打ち捨てられ、罪と責め苦は消え去った、私の魂は許し、私の中に神が生きる。
迷い込んだら光を目指す。青いカタカナの看板。いつだって開いているお店。美味しそうな音。
熱めのスープは幸せになる。またおいでとマスター。長いカウンターの奥で今日も待っている。
彼は子供のように私を愛す。誰も見たり、聞いたりするために私たちに近づくことはできない。
ボクのコト忘れないでね。キミのコト忘れないから。
眠りこけた創造性を回復させるためには、進んで下手くそアーティストになる必要があるんだ。
おいらの言っていることはわかるかい?おまえさんが探し続けた言葉はもうありがたくねえな。
どんなものも、半分はおまえさんが自分で小さな勇気を振り絞って飛び込まなくちゃいけない。
そうすれば、残りの半分は神様がプレゼントしてくれるんだ。全部じゃない。半分でいいんだ。
とどのつまり、おまえさんはいまここから始めたほうがいいってことさ。そうは想わないかい?
それに逃げるよりも育てるほうがずっと簡単なんだぜ。今夜はそろそろベッドに帰る時間だよ。
あてのないふたりですけど、ぜいたくばかり言いますけど、どうかこのまま見守って下さいな。
ひとりきりのとき、人は真に愛することができる。
私のほかに、変わったものはなにもなかった。
だからこそ、すべてが変わったのだ。
ほんとうに感動的だなあ。
僕は、こんなにすばらしいパパの息子だったって、いまはじめてわかったんだ。
そのうえパパは、まるでもう、僕そっくりじゃないか!
(「ムーミンパパの冒険」より)
(詩:トーベ・ヤンソン/画:ニコレッタ・チェッコリィ)